咲いた桜になぜ駒つなぐ

桜が好きだ。

 

いや、好きというか、もはや人生だ。桜を見ると血湧き肉躍る。大地の鼓動とリンクする。春に桜を見るために生きていると言っても過言ではない。あぁ。季節が巡り今年もまたキミに出会うことができた...。ってやっぱり大仰すぎるか。

 

ちょっと前は八重桜が好きだった。昔「八重桜は厚化粧のオバサンっぽくて萎える」みたいな文句を見たことがあるが、私はそうとは思わない。むしろ、何というかなぁ、体育祭の時とかに使う、ポンポン?ビニールを結んでちぎったやつ?あるじゃないですか、ピンクとか赤とか黄色の、あれを持った元気のいい同級生か後輩(ここは先輩では決してない)の女の子たちが黄色い声援をあげてきゃいきゃい言ってて、あぁ、まさしく百花繚乱...!!!てな感じの中でしかし、ひときわ輝いているひとりの女の子、そう、気になるアノ子を濡れた眼差しで見つめていると、こちらに気付いてにっこり笑いかけてくれる、みたいな、そういう爽やかな印象だ。ふぅぅ、八重桜、青春だぜ。久しぶりに思い出した。吠えろ!!青春!!ってそれはNARUTOのガイ先生だな。今の俺はせいぜい、吠えろ!!清酒!!だぜ、オッサンかよ。

 

しかし、今はむしろソメイヨシノのほうが好きだ。八重桜がポンポン持った元気のいい黄色い声の女の子たちならば、ソメイヨシノは清純で華奢で可憐で穏やかな大人の女性、具体的にいうなら月桂冠のCMに出てた仲間由紀恵さんみたいな、がしっとり濡れた眼差しでこちらを見つめてくる、みたいな、そういう、なんというかな、魅惑的でロマンチックというか、率直に言ってしまえばエロいというか、そんな印象だ。うん、ちょっとキモいな。桜みて何連想してんの俺?

 

枝垂桜も良い。でも、なんというかなぁ、枝垂桜は個人的に、夏の終わりのあの日観た花火大会、その花火大会の最後の一発が弾けて火花が、ばらばらばらーって闇夜に落ちてくるのをじっと見ていて、あぁ消えてしまった、と思ったら最後一瞬だけもう一度明るく輝いて見える、みたいな、儚くも美しい、みたいな、尽き果てる前の最後のきらめき、みたいな、そういう印象なんだけど、そこでさらに連想が進み、私の頭に、少し歌っては床に臥せ、また少し歌っては床に臥せるフレディ・マーキュリーが、命が尽きる直前に歌い上げた「ショウ・マスト・ゴー・オン」の純度の高い歌声が蘇るとき、あぁ悲しい哉、なんか違うなぁ。ってなる。フレディかぁ。ってなる。ひどいなぁもう。でもフレディじゃなくて、昔のアニメではお決まりの、白血病で床に伏している、佳人薄命、って感じなヒロインが死ぬ直前に見せる涙もしくは運命を受け入れて、すべてよし、と言わんばかりにみせる笑顔、が連想されるときもあって、それはもうその時の俺の調子というか気分の問題なんだけど、その時はいいよね、枝垂桜も。わかってくれるかなぁ、わからんかなぁ。自分でも何言ってるかわからんもんなぁ。

 

花筏、これも風情があってよい。川面に浮かび流れていく、それ自体美しいけど、散った名残の桜の花びらを見る一方で、脳裏には頭上にあるべきだった満開の桜が連想されて、しかも連想された満開の桜というのは実際のところ本物よりも美しかったりする、みたいな。中秋の名月に雨が降っても、「雨月」とか言って厚い雲の向こう側にある名月をイメージして楽しむ、みたいな、そういう楽しみ方というか。ね。ちなみにこの一文を敢えて入れて風流な奴ぶるのは、前段までに繰り出した変態的連想の悪いイメージを払拭したいという、私のさもしい企みであります。

 

山桜、本居宣長しか思い浮かばない。朝日に匂ふ山桜花。日本文化の核心というか、日本の精神性の神髄というか、そういうものに触れようとしている緊張感みたいなものがあって、「ふつくしい...」とか言ってる場合じゃない。ちなみにこの一文を敢えて入れて勉強してマスぶるのは、前段(以下ry

 

その他にもいろいろ種類があるらしいが、しかし一番好きなのは、大好きな桜の下で呑む酒だ。とはいえ、もう暗いし、ひとりでやっても面白くないので、ぱちゃあぱちゃあ、と写真を撮った。